多くの人は「謙虚な人」が好きな傾向にありますよね。
ただ、謙虚であることを「いつもへり下った態度をとっていること」などと誤って捉えたり、逆に周囲からみると明らかに傲慢なのに「自分は謙虚だ」と勘違いしたりしていると、ネガティブな現象が起きやすくなります。
つまり、一言で謙虚といっても、人によって捉え方が様々であるため「どういう状態が謙虚であり、それをどう謙虚と判断するのか」が難しいと私は思います。
ここでは「私が考える謙虚」や「謙虚さを忘れないで生きていこう」ということについて、解説していきます。
目次
そもそも謙虚って何?
まずは「謙虚さとは何か」について考えていきましょう。
私が思う謙虚とは「自分に自信があるけれども、人を馬鹿にしたり見下したりせず、素直に穏やかにいる状態」を指すと考えています。
つまり「傲慢にもなっていない」かつ「自分に自信がなく周囲に常にへり下っているわけでもない」、バランスのいい状態が謙虚と考えています。
具体例を挙げて考えていきます。
まずは、典型的な傲慢なタイプの謙虚でない人について確認していきます。
ある会社に勤めるAさんは上司のBさんの管理のもとで業務を遂行しています。
このとき、Bさんは非常に傲慢な方で、立場が上であることをいいことにBさんに高圧的な態度をとったり、自分の仕事までもAさんに任せるような方といえます。
当然ながら、このようなタイプの謙虚でない人は、周囲からよく思われず、結果的に本人も不幸せになりやすくなるものです。
以下のようなイメージです。
このように、謙虚さを忘れてしまっているような場合では、多くの方が不快になってしムアことが直感的にわかることでしょう。
一方で、私が考える謙虚でない人には以下のようなタイプも含んでいます。例を元に考えていきましょう。
あるcさんはすごい自己肯定感が低く、常に周囲の機嫌を伺っているようなタイプの人です。
周囲からの評価としては「とても良い人、優しい人」とされと、cさん自信もそのことを表面的には「争いもないからそれでいいや」と考えています。
ただ、根本的な部分としては「常に不安感がある」「自分に自信が持てず、私なんてと思う」などと常に自分を卑下しているようなイメージです。
このようなケースでも、私自身は「謙虚」とは違うと考えています。
上にも記載した通り、自分に自信があるといる部分が欠如してしまっているためです。
もちろん、誰しも色々な運気が悪い時など、自信が持てない時があるので、常に自信満々でいることは難しいです。ただ、常に自分を下げている、卑下していることが、問題と思います。
常に自分の立ち位置を相手から低くすることは「相手から優しくしてもらえる」「助けてもらえる」といった依存的になっていることが根本の問題といえます。
このような状態では、周囲に不安感などを伝染させたり、依存心によって他人を不快にしてしまいがちです。結果として、人間関係をあまり改善できなかったりするのです。
このような理由から、私自身は「謙虚でいることは、自分を卑下することでも、傲慢でいるのでもなく、バランスが取れた状態にいること」と考えています。つまり、ニュートラルでいることが謙虚さの本質かなと思います。
ただ、私自身も調子によっては、どちらのタイプの謙虚でないケースになっているときがあるため、少しずつ成長していきたいものです。
大きな成功や失敗で謙虚さを忘れてしまうことがある
このように、傲慢になるにしろ、卑下的になるにしろ、ニュートラルから離れていくほど謙虚さがないと考えることができます。
しかしながら、人間であれば大きな成功や失敗をすると、このバランスの取れた状態からかけ離れやすく謙虚さを忘れてしまう方が多くいます。
例えば、社会人として就職したことは「とても謙虚で素直な人」のDさんがいたとします。Dさんは仕事も優秀で、かつ持ち前の素直さからあっという間に出世していきました。
良くある話ですが、出世して立場が上がったり、収入が大幅に上昇したことによって、Dさんは元からあった素直を失い、徐々に傲慢な態度を取るようになっていったわけです。
そして、謙虚さをなくし、非常に傲慢になってしまったDさんは信頼を失い、部下からのクレームが殺到する状況に追い込まれていきます。結果として会社を退職せざるを得ないような状況に陥ってしまったわけです。
このようなことは、実際に多くあります。
物質的なことだけ、目に見えることだけを追求すると、結果として精神的な部分をおろそかにしてしまうのです。これは、誰にでも起こる現象といえます。
「私は物質的に成功したとしても絶対にそうならない」と思っていても、実際にそのような状況になってみると、無意識に傲慢になってしまうものなのです。
そのため、徐々に成功していったときこそ、意識的に「謙虚さを忘れない」ようにしないと、謙虚でなくなってしまうケースが多いといえます。人間はある程度自分自身で引き締めていかないと、どんどん楽な方、怠惰な方に流れてしまいますからね。
よって、うまくいっているときこそ、現状に感謝して謙虚さを忘れないようにしていきましょう。
一方で、大きな失敗をした場合などでも、「自分を卑下してしまう観点」から謙虚さを失ってしまうこともあります。
元からそこまで自己肯定感が低くない人であっても、大きなミスをしてしまった場合などでは、「私は何をしてもダメだ」となどと思ってしまうわけです。
もちろん、一時的な落ち込みであればいいのですが、これをきっかけとして、必要以上に失敗を恐れてしまい自己肯定感が下がってしまうケースがあるのです。自己肯定感が低下した不安が強いような場合では、心が安定していないため「結果としてより失敗をしやすくなる」といった負のスパイラルに陥ることがあります。
すると、上述のような「自分は何をしてもダメだ」などと勘違いしてしまうのです。実際のところダメな人はこの世に存在しなく、自分でそのように誤解しているだけといえます。
こちらの場合の謙虚さを失っている(自己肯定感が下がっている)場合にも、やはり現状に感謝し、自分の中の「あるもの」を見つめなおすことで、バランスの取れた状態に戻っていくといえます。
このように、大きな成功や失敗をしたからといって、大げさにとらえるのではなく、謙虚さを忘れずに、毎日楽しく生きていこうと考えるのが重要と、私は思います。
謙虚さを忘れたことで、一度つまづくことも大切
このように、謙虚さを忘れないように意識することが大事と記載しましたが、実際に謙虚でなくなり、周囲から批判されるような体験を味わうことも時には大切かなとも思います。
上のように、言葉で書いたとしても、自分が成功したり失敗したりすると、やはり客観視できなくなることがほとんどなのです。
つまり、とても傲慢になっていても、かなり卑下する癖がついてしまったとしても、あまり気づけないことも多々あるわけです。
という私もちょっと自分の仕事が上手くいったからといってかなり調子の乗ってしまうこともありますし、少しのミスで自分自身の自信が無くなり、他人に依存的になることもあります・・・。
そんな時に、周囲から「がつん」と言ってもらえることで、謙虚さを取り戻せることもあると思います。
よって、謙虚さを忘れないようにすることは大事で意識はした方がいいけれど、人間完璧な人はいないから「時には傲慢になったり、依存的になったりすることもある」。
そんな時は、周りから大きな反動によって、忘れていた謙虚さを取り戻せるようにできているから、人生は心配することなく、ポジティブな体験もネガティブな体験もしっかり味わい、楽しんでいきていきましょうと考えるのが私は大事かなと思っています。
まとめ 謙虚さを忘れないとより毎日が楽しくなる
ここでは、私が思う謙虚さや、謙虚さと向き合う姿勢について私が思うことを記載しました。
謙虚さとは一言でいうのは難しいですが、結局のところバランスが取れたニュートラルな状態であることを指していると私は思っています。傲慢にも、自分を卑下する状態にも陥っていない状態。
このような謙虚さを忘れないでいれば、より毎日が楽しくなると思います。なお、もし忘れてしまったとしても、それに見合った現象が起こってくるため、その現象を受け入れ改善していけば、特に問題ないです。
結局は、人生どんなことをしても上手くいくし、やり直せるチャンスが用意されているので、心配せずに楽しく生きていきましょう。